会の紹介

 もと大阪市立精華小学校・幼稚園校舎は、「大大阪」といわれる大阪が活気に満ちていた時代1929年(昭和4年)に大阪ミナミで、子弟のために街で資金を集め、全国一の設備といわれるほどの小学校校舎として建設されました。(小学校は平成7年に閉校となりました。)
大阪市の古い建造物としても価値のあるこの小学校校舎を愛する人達のための会を設立し、アーカイブとして建物の資料などの記録をまとめていきたいと考えます。
精華小学校出身の方や古い建物に興味のある方、勉強会やホームページにて思いを共用できればと思います。

会の目的:
1.精華小校舎に関わる資料を集め公開します。     
2.精華小校舎に関して見識を深める活動をします。 
3.精華小校舎を愛する人の思いを大阪市に届けます。

【もと大阪市立精華小学校・幼稚園 校舎について】
(建物概要)
竣工:1929年(昭和4年)[地域の寄付金で建設]
設計:増田清/増田建築事務所
施工:松村組
規模:地上4階、地下1階 EV2基
構造:鉄筋コンクリート造 

世界恐慌の昭和4年(1929年)、地元の寄付によって竣工。
エレベーター2台・スチーム暖房設備を備えるその時代の最先端だった校舎。
小学校にエレベーターが設置されていたのは、全国でも大阪市内だけだった様で、2台あったのは精華小のみである模様。

大正末期から昭和初期にかけての”大大阪時代”には全国どこにでも鉄筋コンクリート造りの小学校校舎があったわけではなく、東京市・京都市などごく一部の都市のみにしかなかった。
東京都内・京都市内にはこの時代の小学校校舎が現在も現役で活躍しているものがあるが、大阪市内は皆無。
数多くこのような立派な小学校校舎が大阪市内にもあったが、現在では全容が残るのは唯一精華小校舎のみとなった。(2014年4月解体済)

平成20年実施された大阪市の「中央区のわがまち自慢の都市景観を募集」では、上位の投票数を得、大阪府近代建築ガイドブックにも掲載されている。(大阪市が発行するこういった類の書籍では精華小校舎は一切紹介されていない。)

この校舎の設計者は、原爆で被爆したにも関わらず現存している「広島レストハウス」の設計者、増田清。(関東大震災後、東京の鉄筋コンクリート造の復興小学校建築に当たり、都市の不燃化に務めた「佐野利器」の弟子。)
大阪市内には、増田清設計の三木楽器本店ビル(登録有形文化財)・新世界国際劇場が残っている。

この校舎からは数多くの上方芸能に携わる人材を輩出。
昭和52年に大阪市文化集客振興基金の元となる、多額の寄付をされた藤山寛美氏もその一人。

講堂は、戦中・戦後の一時期、「大阪文化会館」として興行が行われ、一般に開放されていた。

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